裁判官:
「被告人、4年前の、5月12日、午後1時20分には何をやったのかな?」
被告人:
「超正確に覚えています。片方の目で時計を、そしてもう一方の目でカレンダーを眺めました」
* *
別々の目で別々のことが出来るものなのでしょうか。
それがジョークになっている?
試しに私もやってみました。
片方の目で一つを、もう片方の目で別の一つを同時に見るというよりも、ちょっとした時間差はありますが、両の目でそれぞれをすかさず見続けているみたいなような。
裁判官の質問を揶揄するかのように、被告人も裁判官の尋問に応じていますよね。
過去の記憶を辿ること。
でも人間自身の記憶に頼ることにも限界があるのではないでしょうか。
* *
何10年前の出来事について、何月何日何時何分に何をやったのか、何が起こったのか、個人的に覚えている人は稀でしょう。そんなに記憶力が抜群の人なんていないでしょう。それともいらっしゃる?
人間はなんでも覚えていることができない。出来ないから生きていられるのかも。
でもその当時のことを記録に取っておけば、メモに覚えさせておくこともできますよね。
歴史の記録はそのように誰かが記憶していたものを現代の人が掘り返すことで蘇る。
過去、誰々が何々をやったとかやらなかったとか記録する人もその人の主観で記録する事柄を取捨選択することもあり得るでしょう。
良いこと、自分にとって都合の良いことは記録しておく、悪いこと拙いことは無視する。
個人のレベルだけではない、家庭のレベル、社会のレベル、国家レベル、国際的なレベルでも、いわゆる意図的なコントロールは否めない? 人間の性なのか、良いことは自分の手柄、悪いことは相手、他人の所為にしたくなる?
今日の世界、コンピュータが発明されてからというもの、超膨大な量のデータの保存が可能になっていますね。刻一刻と出来事を記録しておくことも可能でしょうね。
* *
昔々、日本一周の旅をしていた時に、これは人生一回限りの出来事だということでメモ帳を持ちながら、自分のいわば一挙手一投足をメモしていました。
どこか新しい町にやってくると何月何日何時何分、自分はこの橋を渡った、何月何日何時何分、昼食を取った、休憩を取った、気を取り直してまた出発した等々、自分にとっては歴史的なことを企てているという自負、細々とメモ、詳しく記録を取ろうとしていました。
今読み返してみると、過去の記録として残っていることは分かりますが、その時、何を感じたのか、何を思ったのか、そのようなことを書いてあったとしても今はその当時を生きているわけでもなく(実はそのつもりで書いていたのですが)、実感が湧かないというのか、殆ど忘れてしまっています。
もし裁判官に問われたら、全然記憶にありません、と答えざるを得ませんね。
だからこそ、そういうことが予想されるから、当時メモっていたといえるでしょうか。メモが、記録がなければ今日にあって当時を知ることもできない。記録を辿って記憶を蘇らせるといった作業が出来る。
日記を書く人はそういうことがわかっていたのかも、またそういうことがわかっているから付けているのかも。毎日、日記を書くというのも大変なこと。殆ど毎日ブログを書いている人、大変だと思います。
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