ドイツ語のことわざ、一つ、二つについて

Wer A sagt, muss auch B sagen.
                     
ドイツ語のアルファベート das Alphabet はご存知のように
A から始まり、B、C、D 云々云々と続きますが、
    
「A」を言ったら、「B」――― と次は言わざるを得ない。
つまり、後が続いている。
    
「A」と言い出したら、「B」と言わざるを得ないのが道理、ということ。

    
一旦手を染めてしまったら、次へと進んでゆかざるを得ない。
やりかけたことは続けるしかない。
    
そう言われた人は「責任を取れ。つべこべ言うな!」と感じるかもしれませんね。
    
そんな深い(不快?)な意味、言外に込められているのかは知りませんが、
そんな風に(この筆者には)聞こえてくることも有りえるかのようなドイツ語表現。
    
Interessannt, nicht wahr?  面白い、でしょう?
    
Kein Interesse? 関心ない?
    
    
            
日本語にも類似の表現があるでしょう。
何だったか、わたしは忘れてしまった、
とここでは知らん振りということにしておきましょう(笑)。
    
Wer A sagt, muss auch B sagen, oder?         
そんな風にさっそく、突っ込まれそう。
   
誰か、日本語表現教えて。Bitte, bitte!(←知ってるくせに、かまととぶる?)
かまとと? おととのこと? 
 


       
    *  *
    
もうひとつ。    
Wer nicht hören will, muss fühlen.
           
「耳で聞きたくない人は感じなければならない」というのは直訳。
    
「言っても分からない人は、体で感じなければならない」、
というのがちょっと分かったような意訳かな。
    
「言うことを聞かぬものは痛い目にあう他ない」
というのが本当の意味でしょうか。
    
言うことを聞きなさい、
言い聞かせるかのようにやさしく、でも毅然と
言うのです。
   
、、、怖そう、でしょう?
     
怖くない?
    
それはドイツ語の意味が分かっていない証拠か、
    
まだ、体でドイツ語(ことわざ)を習得していない証拠か、
    
それとも分かりたくないからかも(笑)。
    
    
Wer nicht verstehen will(kann), muss weiter Deutsch lernen.
    
↑ これはわたしのパロディ風ドイツ文。
パクリとも言うらしい、ちょっと表現が悪く聞こえるようですが。
これを「”個人的な活用”という」とポジティブにも言えます。
          
ところで、独作文力養成のコツとは、独借文すること、とわたしは思います。

独作文とは独借文。 

ジャーナリスティックな文、ドイツ語新聞記事を読んでいるとよく出てきます。
真似している。ドイツ人も独借文するらしい。
我らが外国人ドイツ語学習者も大いに真似して習得してしまおう。  
        

昔のヨーロッパ、ドイツ、オーストリアの家庭の状況を髣髴させるかのような、親から子供に対する Warnung(F)警告とでも言えましょうか。
    
どうしてこうした表現が今日あるのか、残っているのか、
その起源を辿って行くと、多分、家庭内での躾け、
その情景が浮かび上がってくるかもしれないと想像しています。
    
怖いお父さんか、お母さんか、知りませんが、
鞭を振り回して、パチンパチン。
尻を掌でパンパン。
昔はあったそうな
私は知りません。
怖いですねえ。
    
はい、怖いですねえ。
    
Warnung(F)を通り越して、
脅しDrohung(F) にも聞こえるかもしれません。
昔の子供たちにとっては、桑原桑原。

Wer nicht hören will, muss fühlen.
Wenn du nicht hören willst, dann musst du fühlen!


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